「楽しまなければ」という強迫観念

御室にゃんこの飼い主さんが引っ越されてから、寺守りらしきお爺さんが決まった時間に
結願所にやってくる。本堂にお参りしたあと裏手を見回り、観音さんと水掛け地蔵さんに
お参りしたあと帰っていく。毎日来られてるのか、判で押したような所作に感心してしまう。

田舎にいた頃、お百姓のお婆さんが毎日、同じ時間に畑や田んぼに行って、
草取りや野菜の世話をしているのを見て、毎日同じことのくりかえしで、
嫌にならへんのかなと思ってた。なにが楽しくて生きてるのやろと。

田舎暮らしは単調で特に楽しいこともなかった。
両親は働いてばかりで旅行にも行ったことがない。
大人になってからも特に楽しかった思い出がない。

楽しんでる人を見るとうらやましく思い、楽しめない自分をいままで引け目に感じてきたが、無理に楽しまなくてもいいんじゃないかと思うようになった。楽しいのも過ぎると疲れるし、日常生活は基本同じことのくりかえしだ。毎日楽しいほうが異常じゃないかと思ったら、「楽しまなければ」という強迫観念がぽろりと落ちた。

月や太陽や自然の巡りも、同じことのくりかえしだから安心できる。
人もまた然り。私はいるようでいないし、その人生もあるようでない。
様々に見えるいのちの表現があるだけだ。
[ 2017/08/17 11:38 ] 雑記
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  • 不思議な偶然

    翻訳家のヒロさんが8月に京都で書店巡りをするのでいい書店があったら教えてほしいと
    ブログに書かれていたので、メールフォームからおすすめの書店を紹介したことがあった。
    寺町二条上るの三月書房だ。そろそろ行かれた頃かなあと思っていたら、
    今日の記事で行ったと書かれていた。たいそう気に入られたそうで、
    おすすめしてよかったなあと思った。

    ところがである。件のメール、ヒロさんは実は読まれてなかったそうだ。
    システムの不具合から届いてなくて今、目にして青くなったとわざわざ、
    ご本人からお詫びのメールをいただいて恐縮した。

    三月書房は町中の小さな書店で、地元の本好きでも知ってる人は少ないのではないか。
    なんで知られたのかはわからないが、ふしぎなこともあるものだなあと感動した。
    これがシンクロニシティというものだろうか。いやはやおどろいた。
    [ 2017/08/16 20:30 ] 日記
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  • いられないなにか

    小説家は 書かずにはいられない
    写真家は 撮らずにはいられない
    登山家は 登らずにはいられない
    愛好家は 愛好せずにいられない

    そんななにかが 誰にでも
    ひとつくらいは あるんじゃないか
    いられないなにかを
    一心にやってるうちに
    やってるじぶんがいなくなり
    なにか だけになっている

    なにかが あなたのふりをして
    いのちを 表現してるだけ
    なにかが なにかのふりをして
    いのちを 表現してるだけ
    [ 2017/08/12 07:35 ] 雑記
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  • 寂しさを友として

    個人(分離)でいる限り、寂しさはつきまとうものだと思う。
    親しい友達や家族がいても寂しさはあるんじゃないか。
    人のことはわからないが少なくとも自分はそうだ。
    この寂しさを埋めるものはおそらくどこを探してもない。
    自分の正体が見抜かれるまでは死ぬまでつきまとうだろう。

    寂しさを伴侶として生きる。今朝ふとそんな言葉が浮かんだ。
    伴侶はちょっと大げさか。寂しさを友として生きるはどうだ。

    寂しさは自分の一部。
    嫌うからよけい寂しくなるんじゃないか。
    いっそのこと寂しさを友として生きていこう。
    そう決めたら急に清々したような心境になった。
    [ 2017/08/11 07:44 ] 雑記
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  • 存在の物寂しさ

    年下の知人からメールをもらった。なんの用かしらと見たら、今日どこへ行ってなにをしたという日記のような内容だった。最初はコマメに返信していたが、回数が増えるにつれ少々めんどうになってきた。頻繁なメールのやりとりは苦手なんですと相手に伝えた。

    スマホを持つのがあたりまえになり、ラインを利用してる人が多くなった。
    家族や親しい人同士で連絡をとりあうには便利なツールだと思うが、
    自分の場合、いつも人と繋がっていたい欲求がないので興味がないし、
    こちらからは用があるときしかメールはしないので不自由はない。
    スマホどころかケータイすら持っていないのでしようがない。笑
    必要なときは爺さんのケータイを借りて間に合わせている。

    メールが一般的でなかった頃、用もないのに毎日のように電話をかけてくる知人がいた。
    電話はリアルタイムで出ないといけないので、時間がないときなどは困ってしまう。
    話の内容は今日どこへ行って買い物をしたとかいう、どうということのない話ばかりだ。
    思いあまって彼女にたずねてみた。「どうしてそんなにしょっちゅう電話してくるの?」
    「さびしいのよね」という言葉がかえってきた。

    メールを頻繁によこす人も寂しいからなのか。友達が100人いたら寂しくないのだろうか。婆さんは日常的に親しく付き合ってる友人はいないが、そのことで特に寂しいと思ったことはない。"存在の物寂しさ" みたいな感情はときおり感じるが、これは生まれてきた宿命みたいなものなので、逃げずに向き合うしかないだろう。この寂しさを共感しあえる人にリアルでは出会ったことがない。

    年をとったら気をまぎらわすものがなくなってくるので、よけいに寂しくなるようである。息子や娘、孫に囲まれて幸せな老後というのが幻想であるというのは、訪問先の利用者さんの境遇を見てるとよくわかる。まれにそんな恵まれたかたもいるが少数だ。寂しさをまぎらわすのもいいけれど、正面からじっくり味わってみるというのも、人間として得がたい体験のひとつかもしれない。
    [ 2017/08/07 12:33 ] 雑記
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  • 猫人、変人、変なタイトル

    病院の閉ざされた空間で缶詰めになっていた頃、窓から見える風景だけが世間との接点だった。
    夏の暑い盛りに浴衣を着た女の子を連れた家族が窓の外を歩いていくのが見えた。
    ふと夢を見ているような感覚になった。カプセルの中から別の世界を見ているような。

    非日常な生活がもはや日常になっていた。独り世間からとり残されたような感じがあった。
    病院生活は耐えがたかったが、世間と離れた感覚は耐えがたくもなく不快でもなかった。
    『月の満ち欠け』で直木賞に選ばれた佐藤正午さんが似たようなことを書かれていて、
    そんな昔の記憶を思い出した。

    30数年売れない小説を書いていて、
    こんなもの書いても誰が読むのだろうと、ご自分でも思っていたらしい。
    読まれることよりも書きたい意欲が勝っていたのだろう。
    書くのに理由はいらない。書きたいから書くだけだ。
    そういう猫人がここにもいる。もとい変人がいる。笑
    [ 2017/08/04 07:40 ] 雑記
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  • 訃 報

    末期がんで在宅医療を受けていた利用者さんが昨夕亡くなったと連絡があった。
    前日に訪問したとき、声も聞き取りにくいほど衰弱されていたのが気になっていたが、
    こんなに急にお亡くなりになるとは。今週から毎日ヘルパーが入ることになっていた。
    信じられないほどお元気で、直前まで洗濯も調理も自分でされていた独居の女性である。
    痛みは医療用の麻薬で抑えられていたので、そんなに苦しまず亡くなったと思われるが、
    最後に訪問したときのことが思い出されて、さすがにしんみりした気分になった。
    訪問し始めて2ヶ月足らずのご縁だった。謹んでご冥福をお祈りしたい。
    [ 2017/08/03 21:30 ] 日記
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