まるごとストーリー

じゅんころさんの動画を見てたら、観照意識について質問してる人がいた。
観照意識が悟りに至る前のステップではないかというようなニュアンスの。
いわく「そういうのもストーリーなんですよ」と、こたえておられた。
ついでに言うと、非二元もストーリーだと言われてた。笑


ピテカントロプスもビッグバンも
シュレディンガーの猫も
オシャカさんもキリストも
死後の世界も輪廻転生も

悟りも目覚めも非二元も
マハルシもマハラジも
アートマンもブラフマンも

言葉で語られたことは
あれもこれもみーんな
思考が紡いだストーリー

わかった!
て、いうのも思考だ

知識が増えるほど
考えれば考えるほど
ワケがわからなくなる
サトリのストーリーは
果てのない迷路のように
どこまで行ってもキリがない

というわけで
サトリのストーリーは
これでおしまい
[ 2017/10/18 18:24 ] satori
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  • 近所の生活音

    我が家の周辺は向い三軒両隣に家が肩をよせあうように建っている。
    聞くともなしに、ご近所の生活音がいろいろと聞こえてくる。

    風が吹くたんびに、バタンバタンと叩きつけるような音がして気になっていた。
    どこから音がするのか探ってみたら近所のはがれかけたトタン板の音だった。
    家主に気になるので音がしないようにしてもらえませんかとお願いしたところ、
    自分ではできないと言われるので、大工仕事が得意な爺さんに行ってもらい、
    トタンがバタバタしないように固定してもらった。おかげで静かになった。
    家主にも両隣の家人(気がねして言えなかったそうだ)にもよろこばれた。

    裏手の学生アパートからは、毎日のように「おぇ! おぇ!」と奇声が聞こえてくる。
    「どうしたんやろ!?」と最初はびっくりしたが、毎日聞いてるうちに慣れて
    「歯でもみがいてるんやろ」と気にならなくなった。聞こえない日は、
    「今日はどうしたんやろ」と、かえって気になるようになった。笑

    物干しに出ると、お姑さんを叱るようなお嫁さんの大声が聞こえてくる。
    近所なのでお嫁さんとはよく出会う。見た目やさしい感じのひとなので、
    イメージのギャップがおもしろい。「こんにちは〜」と挨拶しながら、
    心のなかでにんまりしてしまう。いやな性格である。笑


    先日、向いの家から、父ちゃんと小学生の子どもの会話が聞こえてきた。

    父「おまえ、こないだ○○くんとこでおしっこもらしたやろ」


    微妙な沈黙のあと……


    子「夢中になってたらそんなこともある」 (冷静に)


    父「おまえなぁ、よそのうちなんやし、がまんせなあかんやろ。わかったか」


    子「わかった」 (神妙に)


    親子のようすが目に浮かぶようで、思わず笑ってしまった。


    壁に耳あり、障子に目あり。向こうの声が聞こえるということは、
    こっちの声も聞こえてるということだ。笑っちゃあいられない(^^;
    [ 2017/10/11 21:05 ] 雑記
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  • 夢見の謎なぞ

    なにかを想像(創造)するとなにかが見える。
    白い猫を想像すると白い猫が見える。
    目を閉じてても見える。むしろ
    そのほうがよく見える。


    眠ってるときに夢を見る。
    自分やその他のいろんなイメージが見える。
    眠ってるのだから肉眼で見てるわけがない。
    夢を見ているのはなんなのか。もしや


    脳のなかにも目があるのか。
    そんなバカな! と考えている
    脳がここにある。まてよ


    脳が考えているのか、
    考えが脳を使ってるのか、
    ニワトリが先か、卵が先か
    謎は深まるばかりだ。
    [ 2017/10/09 09:41 ] 雑記
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  • ワタシの底

    ジョン・シャーマンのメソッドで自分が自分である感じに注目するというのがあった。
    自分が自分である感じ、とは自分がここにいる感じ(存在感)と言ってもよいかと思う。
    ニサルガダッタ・マハラジの言う I AM(私は在る)とは、この存在感のことではないのか。

    私が在るという感覚は、おぎゃあと生まれてから、ずっとあった、そしていまもある、
    純粋な意識または気づきの意識とも呼ばれていて、それが「それ」かと、
    長いあいだ思っていたのだが、どうも違うらしい。

    髙木悠鼓さんのブログに、次のようなことが書かれていた。


    しかし、Prior to Consciousness(意識以前――仮称)の中では、マハラジの主要なテーマは『私が在る』ではなく、意識が起こる以前の話(だから、原書のタイトルが「意識以前」)で、マハラジは「私は皆さんを絶対へ導こうとしている」と強調している。

    マハラジが「私の以前の話はある程度、人々は理解した」と言うとき、たぶんその話とは「私は在る」についての話のことだ。「在る」という話は、理解しやすいし、ある意味で安心感さえ与える。「私は1個の肉体・マインドではなく、意識である」という認識はある種の喜びと平和を与えるものだ。しかし、マハラジは探求者たちが楽しんでいるこの観念さえ、破壊しようとしている。

    「私が在る」が起こる前、あなたは何だったのか?これがマハラジの問いである。



    本文はこちら


    記事のなかに池田晶子さんのことが書いてあったので思わずにんまりしてしまった。


    奇しくもここで、思い出したことがあった。
    Takuさんの旧ブログで読んだ『たぶん最後の勘違い』という記事だ。
    純粋な観照意識はワタシの底で「それ」ではないと書かれている。関連記事はこちら
    このワタシというのが、自分がここにいる感じ(存在感)のことだと婆さんは思ってるのだが、
    純粋意識がワタシの底というのは、コペルニクス的な発見ではないだろうか。


    底が抜けた意識のみなもと。そこまでは望むまい。底までで充分だ。
    [ 2017/10/04 22:49 ] satori
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  • 味わうべき孤独

    P9264964.jpg


    Takuさんのページを閲覧するためにフェイスブックに登録してたら、
    知らない人からアクセスがあった。見に行ったけどやっぱり
    知らない人だった。SNSのおかげで簡単に友達ができる
    ようになった昨今だが、会ったこともない名ばかりの友達が
    たくさんできてもうれしくはないので興味がない。
    人間関係が豊かな人は、人生も豊かだろうと思うものの、
    残念ながら自分は群れるタイプではないようだ。だが
    孤独のおかげで自己探求するようになったのだから、
    これはもうそうあるようになっていたと考えるしかない。
    深いところで話の合う友人とは現実に会ったことはないが、
    本のなかではときどき出会う。池田晶子さんもそのひとりだ。
    婆さんと似たような気質の人は読んでみるといい。
    [ 2017/09/26 10:53 ] 雑記
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  • 眼科受診

    左目眼底検査、網膜の検査、眼底の写真見る。
    [ 2017/09/21 15:05 ] 日記
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  • ボツボツ原稿

    先日の夕方、朝日新聞 "ひととき" 担当のKさん(女性)から電話があった。
    御室にゃんこにちなんだ投稿文が掲載候補になったとのことで、いろいろとたずねられた。掲載が決まったら連絡しますと言われ、よろこんでいたが、話し合いの結果、他の方の投稿に決まったとの連絡がさきほどあった。Kさんは京都のかただそうで御室にゃんこ編を気に入ってくださり、最後まで推してくださったそうだが、上からOKが出なかったようだ。

    6月に朝日、声欄に投稿してボツになった原稿だが、だめもとで"ひととき"に投稿してみようかと思い、メールで送った。そのことは投稿するときに念のため記載しておいた。二重投稿はご法度なのである。昔、一度だけ朝日でボツになった原稿を京都新聞に投稿して掲載されたことがあった。以来、朝日"声"欄に掲載されるたんびに、担当者から「二重投稿してませんか」と、しつこいほど確認されるようになった。苦笑。

    二重投稿の意識は正直なかったのだが、ボツになったあとでも二重投稿と見なされるのだろうか。ちなみに京都新聞は掲載前に電話はかかってこない。掲載の可否は前もってわからないが、送りっぱなしであれこれ聞かれることもないので気楽である。"ひととき"は昔一度だけ掲載されたが、その後は何度投稿してもボツになり、今回も99%ボツになると思っていたので、落選の連絡をもらっても「ああ、そうですか」でおしまい。ハッピーくんに関心をもってくださった担当者さんには、御室にゃんこでググってもらえば、写真が見れますよとお伝えしておいた。

    日の目を見なかったボツ原稿。せっかくなので残しておこう。
    ハッピーくんが見つかったという連絡はいまもってない。


    京都仁和寺の北裏に四国八十八ヶ所のミニチュア版、御室八十八ヶ所霊場がある。
    ハイキングコースとして地域住民に親しまれている。結願所の大窪寺に、
    この春までハッピーという名の猫の警備員がいた。お寺さんの飼い猫さんである。
    仕事はお山のパトロールと参拝者のお接待。本堂前の休憩所ですわっていると、
    膝の上に乗ってきたり、おもしろいポーズを見せてくれたり、訪れる人々の癒しになっていた。
    彼に会うためにわざわざ訪ねてくる常連さんもいたくらいだ。
    飼い主さんの引越しに伴い、四月一日付けで淡路島洲本市に転勤になった。
    しばらくして常連さんの一人からハッピーがいなくなったと知らされた。
    引越した翌日、パトロールに出かけたまま帰ってこないと言う。
    警察や動物愛護センターにも届けたがいまだに見つかっていないそうだ。
    ご家族も「外に出さなければ」と胸を痛めておられた。
    いったいどこへ行ってしまったのだろう。生まれ故郷の御室に帰ろうとしたのか。
    一念発起。海を渡って四国の八十八ヶ所にお遍路の旅に出たのか。
    キジシロでしっぽの短い猫が歩いているのを見かけたら声をかけてやってほしい。
    「ハッピーくん、みんな探してるよ。帰ってあげて」と。
    [ 2017/09/15 16:01 ] 雑記
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